論文等

死の近さ / 茶の湯の美学と博物館が出会うとき

学位論文等題目〈論文〉死の近さ-茶の湯の美学と博物館が出会うとき ※論文内容の要旨表題:「3.11からの復興と茶の湯×アートと髑髏 その関係性」について論じた。 〈作品〉どくろ茶会「どくろ茶会」とは博物館の〈負の象徴構造〉である

著者: 木下 史青(東京国立博物館)

関連web: 東京藝術大学リポジトリ

2020年 9月 16日 公開

関連研究員(当館): 木下 史青 

データ更新日2024-05-07

氏 名      木 下  史 青
ヨミガナ     キノシタ シセイ
学位の種類    博 士 ( 美 術 )
学位記番号    博 美 第 626号
学位授与年月日  令 和 2年 3月 25日
学位論文等題目 〈論文〉死の近さ-茶の湯の美学と博物館が出会うとき
        〈作品〉どくろ茶会「どくろ茶会」とは博物館の〈負の象徴構造〉である



論文等 審査委員
(主  査)   東京藝術大学教授(美術学部)藤崎 圭一郎
( 論文第1副査 )明治大学准教授(理工学部)鞍田 崇
( 作品第1副査 )東京藝術大学教授(美術学部)清水 泰博
( 副  査 )   東京藝術大学教授(美術学部)橋本 和幸
( 副  査 )  ( )



( 論 文 内 容 の 要 旨 )
 3.11からの復興と茶の湯 ×アートと髑髏その関係性



「 復 興 と 茶 の 湯 ×ア ー ト と 髑 髏 」 そ の 関 係 性 と は 何 で あ ろ う か 。
筆 者は東日本大震災 の あ っ た 3・ 11後 、 2011年 10月 か ら 今 日 ま で 、 福 島 県 二 本 松 や 南 相 馬 で 、 山 形 で 、 キエ フ で 、 チェルノブイリで 、 そ し て ふ た た び 東 京 で の 「 ど く ろ 茶 会 」 を 開 催 し て き た 。 ある茶会で 用 い た髑 髏 茶 碗 の 意 味 を 問 わ れ 、 時 に は 抵 抗 な く 受 け 入 れ ら れ 、 ま た 髑 髏 の も つ イメージ か ら 拒 否 さ れ る こ と も あり な が ら 、 そ れ で も リクエストがあ る た び に 発 展 と 洗 練 を 経 つ つ 、 い つ し か 「 ど く ろ 茶 会 」 の 開 催 は 、「 ここ ろ の 復 興 」「 鎮 魂 」 の た め の 場 の デ ザ イ ン に な る の で は 、 という仮説を 立てた。



「ど く ろ 茶 会 」 は 正 式 な 茶 室 で の 茶 会 も あ れ ば、野 原 に 近 い 場 所 で も 行 わ れ る 。 茶 の 湯 の 目的は 、 茶 を 行う 「 場 所 」 の も つ 意 味 へ 祈 り を 捧 げる た め の 自 服 (じ ふ く )で の 孤 独 な 茶 に あ る 。 ま た、大 切 な 友 を 祝福し、同 席 し た 人 々 と 一 時 を と も に す る た め の 茶 会 に は 、 一 座 を 建 立 す る た め の幾 つ か の 約 束 事 が あ る だ ろ う 。 その よ う な 茶 会の 持 つ 時 間 と 空 間 と は 何 の 意 味 を 持 つ も の なのか、本論文は、その問いに 対 す る 回 答 を 明 ら かに したい。



3.11か ら の 被 災 地 に お け る 復 興 期 が 、 日 本 の 社 会 に お い て ど の よ う な 構 造 で あ る か 、 筆 者 が 行 っ て き た「 ど く ろ 茶 会 」 を 時 系 列 に 整 理 ・ 考 察 し つ つ 、 そ の 茶 会 が 茶 の 湯 の 価 値 観 を 取 り 込 み な が ら 、 ど の よ う な 意味 を 持 ち う る か 、 そ の 現 代 的 意 義 を 問 う 。 次 に 、 髑 髏 と は 何 か に つ い て よ り 深 く 考 察 す る 。「 頭 骨 形 の 茶碗 」 を 考 え る た め に 、 脊 椎 動 物 の 骨 ・ 頭 骨 が 〈 負 の 象 徴 構 造 〉 で あ る と い う 、 か つ て 生 物 ・ 解 剖 学 者 と し て東京藝術大学 において 教鞭 を と っ た 、 三木成夫の述 べ る と こ ろ の 意 味 に つ い て 検 討 す る 。 また 、 人 は 「 髑髏 」 を 通 し て 「 何 を 」 見 て 、 どのよう な 価 値 観 ・ 世 界 観 を 感 得 す る の か 、 その仕組みを 分 析 す る。



「 ど く ろ 茶 会 」 を成立させるための 専用の「茶室 」がな かったため、〈 負 の 象 徴 構 造 〉に相応しい、それ自体が価値を感じさせない 、 負の素材として 発泡スチロールを制作材料として見立てた「ドクロ茶室」と 、茶 室 周 辺 の 露 地 庭 を 合 わ せ て デザインした。 こ の 茶 室 と 髑 髏 茶 の 湯 を 用い、 通常は非公開で行われる「茶事」の如く、しかし完全に公開 の 場である 東京藝術大学大学美術館 の エントランスで、 筆者が 濃 茶 を 練 っ て連 客に呈し、回し飲みをすることで、「どくろ茶会」の流れを完成 させる。しかし東京藝術大学と美術館から、展示室の使用条件を理由に、茶会の開催は拒否されてしまう。



美術館 に お け る 茶会開催 を 拒否する 理由 は 「 文化財の保存環境」 を 守 る た め で あ る 。 文化財の「保存と美術館の展 示」という 、 相反 する機能を 考えるとき 、「 展 示 」 の 本 質 的 な 役 割 に 立 て ば 、「 文化 culture」 の 本質 を 見 せ る こ と を 優 先 さ せ た い と 考 え る も の で あ る 。 本論文では、東 京藝術大学大学美術館で の 博 士 審 査 展に お け る 「 ど く ろ 茶 会 」 の 顛 末 を 記す と ともに、美術館 ・ 博 物 館 の 本 質 的 な役 割 を 探 る た め 、 福 島 、 チェルノブイリ 、 そ し て 東 京 … と 、 ヒ ト の 頭 蓋骨の形 を し た 茶 碗 を 携 え 、 各 地 で 茶 を 点 て る 「 ど く ろ 茶 会 」 と 称した 茶 会 を 開 き 、 人 々 と の 語りあ い を 続 け て き た 筆 者 の こ れ ま で の 活 動 を 論 じ て い く 。



( 論 文 審 査 結 果 の 要 旨 )
本 論 文 で も っ と も 評 価 さ れ る べ き ポ イ ン ト は 、 文 化 や 社 会 の あ り 方 を 批 判 的 に 論 究 す る 際 に 「 負 の 象 徴 構造 」とい う 視 点 が 有 す る 可 能 性 を 見 出 し 、 そ れ を 実 践 的 に追究し た 点 で あ る 。 こ の 視 点 は 、 直 接 的 に は 解剖学 者 の 三木成夫 の 「 骨 」 に つ い て の 考 え 方 に 由来し 、 本 論 文 で は 「 ド ク ロ 茶 会 」 の 現 代 的 意 義 との 関 連 から 、人 間 の 「 頭 蓋 骨 」 す な わ ち 「 髑 髏 」をどう理 解すべきか 問う なかで言及された ものである。
だ が 、 注 意し な け れ ば な ら な い が 、 三 木 は あ く ま で 「 骨 」 一 般 に つ い て こ の 視 点 を 提 起 し て いるの で あ っ て 、 こ と さ ら人 間 の 頭 蓋 骨 に 限 定 し て 論じているわけでは な い 。 三木に お い て は 、 い わ ば ニ ュ ー ト ラ ル な 形 式 的 概 念 に すぎ な か っ た 「 負 の 象 徴 構 造 」 が 、 本 論 文 で は 、「 髑髏 」 か ら 連 想 さ れ る 様 々 な 文 化 的 ・ 価 値 的イメージ、 とりわ け 「 死 」 と 重 ね 合わ さ れ 、 我 々 自 身 の 生 存 、 さ ら に は そ の 生 存 が 営 ま れ る 社 会 空間の根底を裏面 からうかがい見るまなざしのロジックとし て 駆 動する。しかも 、その駆動 力 は 、 あ らかじめ設定 さ れ た 枠 組 み の なか に スタティック に 位 置 づけられているの で はなく、福島第一原子力発電所事故以後に取り 組まれた茶 会 と文化財レスキューを 通して 、 筆者自身の ひとつ ひ と つ の 具 体的体験 と ともに 実践的 に 検証されてきた、あ る意味生々しさを帯び た ものでもある 。 この点にこそ 、 本論文 の 創意があると言えるだろう 。



ただ 、そう し た経緯 からの創意であるだけに 、 この「 負 の 象 徴 構 造 」 が文化や社会 に 対して有する 批判的視座を 展開しき れていない面もある 。 もちろん 、「 負 の 象 徴 構 造 」 と し て の 「 茶 の 湯 」の美学を通して、「博物館」(や美術館 )のあり方を問 い 直している 点 は 評価 されるべき ではある 。 だ が 、 そ も そ も 博 物 館 や 美術館、そこで 展観さ れ る アート を はじめと す る 造 形 活 動 もまた 、 社 会 全 体 か ら 見 れ ば 「 負 の 象 徴 構 造 」 なので は な い だ ろ うか 。 は た し て そ う し た 役 割 を 現 状 の それらは果たし得てい る の で あ ろうか。 これ ら の 点 は今後 の 課題としてぜ ひ筆 者 に 引 き 続 き 取 り組んで いただきたい 。 とまれ 、 何よりも そ う し た さ ら な る 問いかけへ の 端緒 を開いてくれた と いう意味において、 本論文は 学術的に十分 優れたもので あることは 言うまでもない。
以上から 、 副査とし て 、本論文 を 博 士 学 位 請 求に ふさわしい ものとして 評価したい と 考える次第である。



( 作 品 審 査 結 果 の 要 旨 )
木下史青氏 の博士研究は、「 茶 会 」の 行 為 を 東 北 大 震 災 に 重 ね 合 わ せ る と こ ろ か ら ス タ ー ト し た 。当 初 は 自身 の 所 有 し て い た 髑 髏 の 現 物 を 原 型 に し た 茶 碗 を 制 作 し 、 そ れ を 使 っ た 様 々 な 形 式 に よ る 茶 会 を 東 北 大 震 災の 被 災 地 や チ ェ ル ノ ブ イ リ ま で 行 っ て 行 な っ て い た 。そ の 折 に は こ の 活 動 の 先 に 何 が 見 え て く る の か 、茶 会 記録 の 集 積 か ら 何 が 現 れ て く る の か を 我 々 は 見 守 っ ている ような 感 覚 で あ っ た 。そ の 後 、氏 自 身 の 30年 余 り 前 の東京藝大・学部時 代 の 三木成夫氏 の「 生 物 」の 講 義 体 験 が 研 究 に 加 味 さ れ る こ と に よ っ て 研 究 は 面 白 い 展 開 を見 せ 始 め た 。私は副 査 と し て 少 し 離 れ た 立 場 で 見 て き た の だが 、この 三木氏の 講義内容が 研 究 に 加 わ る こ と によ っ て 何 か が繋 がったのを感 じ た 。三木氏の骨 に 対 す る 独 自 の解釈 が 髑 髏 に 繋 が り 、そ れ が 茶 碗 へ と 繋 が る と同 時 に 、 そ の 後 の 茶 室 へ と 繋 が る ポ イ ン ト に も な ったように思われた 。



博士展に展示された主な作品は ①濃茶席「ドクロ茶室」(発泡ス チロール製)、床、釜等 、②ドクロ茶 碗 他茶 道 具 一 式 、③薄茶席・立礼 卓 、④庭としての造作物 2 つ で あ り 、多くが ドクロもしくは骨をイメージさせるもので構 成 さ れ て い る 。
博士研 究 発 表の折に は常に研 究 の 契 機 で あ っ た 東北大震 災 の こ と が 語 られる ので あるが 、上記の よ うな新た に 見 え て き た テーマ に よ り フォーカス す る こ と で も 良 か っ た の で は と も 思えた。 そ れ は 震 災 と は 直 接 関 係の な い 「 髑 髏 」 が 次 第 に 大 き な テ ー マ と な っ て き た か ら で あ る 。



作 品 ① の「 ド ク ロ 茶 室 」は 自 身 所 蔵 の 髑 髏 を 忠 実 に 巨 大 化 し て 再 現 し た も の で 、そ の 特 異 な 造 形 は 茶 室 の 意味 の 一 つ の 解 釈 の よ う に も 思 え る 。茶 の 世 界 に は「 一 期 一 会 」と い う 言 葉 が あ り 、ま た 利 休 の 茶 の 世 界 に も「 死 」を イ メ ー ジ さ せ る も の が 見 え が く れ す る こ と も あ り 、 作 品 と し て 茶 と 死 と の 関 係 を テ ー マ と す る の は 面 白 いの で は な い か と 思 っ た 。こ の ド ク ロ 茶 室 と そ の 道 具 類 は 藝 大 美 術 館 の 博 士 展 に お い て 、ロ ビ ー 空 間 に 強 烈 な 印象 を 残 し 、通 常 の 畳 と の 組 み 合 わ せ は 、日 常 の 先 に 常 に あ る「 死 」を イ メ ー ジ さ せ る も の で 、イ ン ス タ レ ー ショ ン 作 品 と し て 成 功 し た も の で あ っ た と 思 う 。



死 を 意 識 せ ず に は い ら れ な い ド ク ロ の 茶 室 で 、ドクロ茶 碗 が 使 わ れ る 茶 会 で 何 が 語 ら れ る の か 。本 当 は こ の茶 室 と 道具類 を 使 っ て 行 な わ れ る 今 後 の 茶 会 に おいて 、 亭 主 と 客 の あ い だ に ど の よ う な 会 話 が 交 わ さ れるのか 。こ の 設 え に よ る 亭 主 の 問 い か け に 対 し て 客 が何を考え 、何 を 語 る の か を 聞いて み た い 気 が し て い る 。その茶会 の 記 録 の 集 積 が 本研究の次のテーマにも繋が っ て い く よ う に 思 わ れ る の で あ る 。よ り 深 い「 死 」に 対 する対話の場として こ の 茶 室 が 使 わ れ て い くような、この研究の継続を期待 してい る 。
以上のことを鑑みて、本作品は博士学位に相応するものと評価する 。



( 総 合 審 査 結 果 の 要 旨 )
木下史青は、東京藝術大学で教授として教鞭をとった 解剖学者、三木成夫が脊椎動物の骨を筋肉の支持体では な く、成長 す る 肉 体 の 隙 間 に 生まれた「 負 の 象 徴 構 造 」として捉える見方を受け継ぎ、ヒトの頭骨(どくろ)を負のえ 、 2011年から頭骨をモチーフとした茶器を使った茶会(のちにをどくろ茶会と名づける)を東京や福島県などで開催した。 木下は2011年の東日本大震災で被災した美術館で美術品のレスキュー活動に参加することをきっかけに、原発事故からの復興のなかで隠蔽されていく死への意識を再び研ぎすまし、それを生への渇望へつなげていく手段としてどくろ 茶 会を行っていく。 原発事故後、福島第一原発は日本の経済発展の「 負 の 象 徴 構 造 」 と し て 廃炉と復興の過程のなかで機能していくこととなることを、木下はどくろの「 負 の 象 徴 構 造 」と重ね合わせて茶会という場で表現していく。 茶の湯という伝統的な儀式を批評的に使い、五感で感じる一期一会の緊張感を現代の日本が構造的に抱える問題につなげ、人の意識に介入しようとするその試みは極めて独自性の高いものであり、また野心的な試みと評価できる 。



博士審査展で発表したどくろ茶会はこれまでの活動の集大成であり、ドクロをモチーフにした破調ともいえる茶器・茶道具・空間をしつらえることで、現在では趣味人の余興となっている茶会を生と死を見つめる空間として提示することに成功していた。 博士審査展は水場の問題などで開催が難しい美術館で茶会を行った。 その意義は、生産・消費・破棄の繰り返しによる止めどもない成長で肥大化する現代社会の中で、芸術品が美術館・博物館の中でアーカイブ化されていくことが、まさに肉の隙間に骨が形成されるのと同様の「負の象徴構造」であることをも暗示し、現代社会のなかで芸術のあり方に対しても問いを投げかけるものであった。アートの文脈の中に茶会を位置づけて、そこから望ましい未来のあり方に議論を投げかける木下の研究成果は非常に斬新で現代社会にとって刺激なものであり、よって博士学位に相応するものとして評価する。