口頭発表

「古九谷様式」の色絵磁器について

学会,機関: 東洋陶磁学会平成21年度第4回研究会

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

2009年 10月 31日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

 古九谷様式の色絵磁器は日本で焼かれた各種の色絵磁器のなかでも最も豊かな創意が盛り込まれた一群といえる。中国から技術を取り入れながらも、大胆な構図と濃厚な傅彩とによって色絵の新たな可能性を切り開いている点は、創造的な和様化と評価することができる。考古学の成果により、古九谷様式の色絵磁器は中国から釉上彩の技術が導入されて間もない時期に焼かれたことが明らかになった。直接の祖形となったのは清時代初期に焼かれた五彩磁器と考えられる。古九谷様式五彩手は、清時代初期の五彩磁器の諸要素のうち、上絵具の色彩と質感とに着目し、この部分だけを増殖させていった様式と考えられる。上絵付けの際に天地逆置して伏せ焼きする手法は古九谷様式では五彩手、青手を問わず広く行なわれているが同時期の中国にはみられない。したがって上絵具の厚塗りのために日本で工夫された技法と考えられる。この厚塗りこそが五彩手と青手の共通項であり、ひいては古九谷様式の本質とみることができる。さらに上絵付けにおける伏せ焼きの手法は上絵具が流れて拡散する効果を生み出した。この動きをもった彩色が古九谷様式独特の昂揚する気分を生み出すのに重要な役割をはたしていることは疑いない。
 古九谷問題の混乱の一因は、あまりにも多様な内容の磁器が「古九谷」の名のもと括られている点にある。大河内正敏が提唱した「古九谷」から、その後藍九谷、吸坂手、初期の輸出色絵などが次々と外されていったが、「古九谷」の枠組み自体を実証的に見直すことはなぜか行なわれなかった。そして残された五彩手、青手、祥瑞手の三種をひとまとめにしたままで「古九谷様式」と呼びかえたために、これらがあたかも一つの「様式」であるかのような印象を植え付ける結果となってしまった。また今日古九谷様式として扱われている色絵磁器の中に、明治時代以降加賀で写された作品が少なからず混入していることも多くの研究者が気づいているところである。
 古九谷様式の色絵磁器を日本陶磁史、さらには東アジア陶磁史の上に的確に位置づけるためには、「創造的な和様化」の具体的な内容を明らかにしてゆくことが何よりも重要であろう。そして「古九谷」として括られているさまざまな色絵磁器を素地と絵付けの両面から分析したうえであらためてグルーピングしなおし、それぞれの位置を明らかにしてゆく必要がある。