口頭発表

江戸時代後期の伊万里染付大皿にみられる〈中国趣味〉について

学会,機関: 東洋陶磁学会平成23年度第1回研究会

発表者: 今井 敦(東京国立博物館)

2011年 7月 9日 発表

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

 江戸時代後期の18世紀末から19世紀前半にかけて、九州肥前において染付大皿が量産され、日本各地に運ばれていった。江戸時代後期における染付大皿の普及は、しばしば卓袱料理の流行と関連づけて論じられている。卓袱料理とは長崎における異文化交流の中から生まれた宴会料理の形式であり、多人数が一つのテーブルを囲んで大皿から取り分けて食べる中国式が物珍しがられ、人気を博したとされる。したがって、卓袱料理に用いられる食器の主役である大皿の意匠には、異国趣味としての中国趣味が盛り込まれることがあったのではないかと考えられる。
 江戸時代後期の伊万里染付大皿には、中国の風俗を描いた図や、意識的に中国風を装っている図などがみられ、同時代の中国文化への興味や関心が反映されている例を指摘することができる。また、この時期に新たに用いられるようになった篆書体の「乾」などの銘款は、清朝官窯を意識したものと考えられる。江戸時代前期の伊万里染付では、明時代末の景徳鎮民窯の染付にあらわされた文様や銘款を、意味を解さずそのまま写している。磁器の文様の取材源として中国の画譜類が重宝されたのも、当時求められた「中国らしさ」を満たす近道であったからであろう。その結果として日本独自の破天荒な染付が生み出されている。これに対して、江戸時代後期の染付大皿では、より意識的・自覚的に同時代の中国文化への憧れが示されている。江戸時代後期における中国文化への憧れについては、文人趣味や煎茶趣味と関連づけて論じられることが多いが、より広範で通俗化した中国趣味の存在が想定される。また、江戸時代後期の伊万里染付にみられる表現には、清時代後期の染付との類似が指摘できることから、伊万里焼染付に特徴的な表現ととらえられているものの一部が、当時の日本人が求めた中国風の表出である可能性が考えられる。
江戸時代後期の伊万里染付大皿の文様には、旺盛な知的好奇心が反映され、大胆奇抜な趣向が盛り込まれている例が多い。中国風の宴の形式や異国風を加味した料理が流行したのも、町人の経済力の向上とともに、新奇を好む風潮がその原動力となっていたのではないかと考えられる。また、中国への興味関心が、ハイカルチャーに限定されず、大衆文化のレベルにまで浸透している点にこの時代の文化の大きな特色があるといえるだろう。