論文等

明末期の民窯磁器の意匠にみられる〈文人趣味〉について

著者: 今井 敦(東京国立博物館)

出版者: 東京国立博物館

掲載誌,書籍: MUSEUM No.610

2007年 10月 15日 公開

関連研究員(当館): 今井 敦 

データ更新日2021-12-10

明末清初期に景徳鎮民窯で生産された磁器のうち、古染付や天啓赤絵、あるいは南京赤絵は日本に数多くもたらされており、その一方で日本以外に伝世している例がほとんど知られていないことから、とくに日本向けに作られた輸出品という側面が強調されてきた。また、その作風は日本人の好み、なかでも茶の美意識と関連付けて論じられることが多かった。それゆえ、これらの作品を中国陶磁史の展開のうえに位置づける試みは、これまであまりなされてこなかった。
ただし、これらの磁器の意匠のうえに明確に日本に由来する要素を指摘できる作例は実は多くない。器形が日本向けであっても、絵付けの題材は中国風の風景や人物である場合が多いのである。また、当初から茶の湯の具足として誂えられたいわゆる「茶器古染付」は、明らかに日本からの注文による製品であるが、「常器古染付」とよばれる中皿の一群が、もっぱら日本市場向けに作られた製品であったのか、それとも中国国内市場向けの製品の一部が日本にもたらされかという問題についても、十分な検討がなされているとはいえない。
古染付や天啓赤絵、南京赤絵には、山水人物などを描いた図に詩文を添えた一群が知られている。詩文の内容に目を向けると、文人趣味にかなった著名な作品に、詩意をあらわした図が添えられた作品が少数存在する一方で、定型化の進んだ多くの作例があり、さらには、文学作品としての評価に値しない戯れ歌が記された作品まである。すなわち、教養を背景とした文人趣味に昇華されているレベルから、文人趣味の形を装っているレベルまでかなりのばらつきがみられるのである。このような作品群を、日本の茶人向けといった一様な需要に向けて作られた製品とは考えにくい。
この種の民窯磁器は、中国国内における需要に応えて生産されたものと考えられ、製作の背景として、当時の中国における大衆化・通俗化した文人趣味の存在が想定される。さらに、著名な文学作品が通俗化した形で器物の文様に取り入れられている例は、明時代嘉靖期のいわゆる金襴手にすでに指摘できることから、古染付などを明代後期の民窯の展開の中に位置づけることも可能と思われる。